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2016年3月 公認会計士特例試験の結果 ~計理士と会計士~

 前回は、従来から存在していた「計理士」という資格を有する者に対して、「公認会計士特例試験」という「下駄を履かせる試験」が行われることとなったことを示しました。
 今回は、その続きとしてその「特例試験」の結果を示します。
 1964年6月に交付された公認会計士特例試験等に関する法律に基づき1964年7月~1967年3月までに5回実施された試験結果は、以下の通りです。
 1回目(合格者 207名、合格率18.8%)、2回目(合格者96名、合格率10.6%)、3回目(合格者155名、合格率14.6%)、4回目(合格者300名、合格率30.6%)、5回目(合格者446名、合格率42.2% ! ?)。
 上記を合計した合格者数1,204名、平均した合格率は23.6%です。
  当時の公認会計士の総数は4,039名です。
 その内訳は、上記の特例試験で合格した計理士1,204名の他、公認会計士制度発足時である1948年8月から1954年7月に行われた「特別公認会計士試験(11回)」の合格者1,042名、及び第三次正規試験の合格者1,793名です(特例1,204名+特別1,042名+正規1,793名=4,039名)。
 正規の試験では一次・二次試験に合格し、実務経験を積んだ上で三次試験を受験しますが、公認会計士制度発足時には特に公認会計士の数が少なかったため、「特別公認会計士試験」として一発で公認会計士の資格が取れる試験が行われていました。
 ちなみにこの「特別公認会計士試験」に合格した1,042名のうち計理士は589名で、その合格率は7%だったそうです(上記の最後の特例試験の合格率は42.2%!?驚異的です)。
 その後、全日本計理士会は特例試験制度延長を目論み、当時の大蔵省に対して「公認会計士試験制度を今後3年の間延長していただきたい」との陳情を行っています。こうした動きに対して、多くの公認会計士は下記を理由として「公認会計士特例試験制度延長反対」を主張します。

「公認会計士特例試験制度をこれ以上延長すれば、職業監査人制度の発達を阻害し、業界体質の低下を招くだろう。」
 

 ちなみに1967年3月に公認会計士協会会長に就任した等松農夫蔵(現、監査法人トーマツの創設者)は、会長就任の挨拶で、公認会計士特例試験制度延長の動きに対して、以下のようにコメントしています。

「新たに協会に温かく迎え入れ、互に手を取り合って進まんとする千2百余名の会員(筆者注;上記の公認会計士特例試験の合格者1,204名)各位のためにも悲しむべきことであって、斯様のことの再起することなかれかしと切望する次第であります。これこそは、折角醸成されつつある融和ムードを破壊することの最なるもの、ゴールを過ぎてからゴールを延ばさんとするスポーツマンシップらしからぬものと断言しても過言ではないと信じます。」

 スポーツマンシップと対比されても、あまりピンときませんがね・・・。
 このように仰せられる等松農夫蔵先生も海軍経理学校出身の計理士で教官の経歴もあります。しかし、他の計理士・会計士とは格が違いすぎます。今の監査法人トーマツの創設者であることに加えて、もと大日本帝国海軍少将なのです。Taku
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2016年3月 計理士から会計士へ~公認会計士特例試験

東芝の粉飾事件を受けて,2016年1月,日本公認会計士協会は「公認会計士監査の信頼回復に向けた監査業務への取組」という会長通牒を発出しました。
 「会長通牒」は公認会計士業界への不信感の高まりのある都度,発出されてきた経緯があります。
 公認会計士業界の歴史は,会計不祥事との戦いであり,いかににして社会の期待に応えていくのか,という模索の歴史とも言えます。
 また「歴史は繰り返す」と言いますが,繰り返してはならない歴史もあります。
 そこで,以下では公認会計士業界が経験した苦い歴史を紹介します。

 公認会計士制度の確立時期(1948年~1964年)~計理士と会計士~
 公認会計士という資格が創設される前,我が国には戦前から「計理士」という資格がありました。
 計理士は,「会計に関する検査・鑑定・証明・計算などをすることを業」としていましたが,試験はあるものの経理学校等における会計学の修得により受験せずとも付与された資格であって,その多くは無試験による資格取得者でした。
 戦後の我が国では米国の占領下にあり,証券取引法の制定・企業内容開示制度の確立のため,財務諸表監査の担い手となる「会計に関する専門資格」が必要視されました。しかし,上記の一般化した「計理士」は相応しくなく,より特化した「公認会計士」という新たな職業専門家としての資格が必要とされたのです。
 そのため,1948年7月の公認会計士法の公布の後,計理士法は廃止されます。
 従来,計理士であった者も公認会計士試験を受験して合格すれば公認会計士の資格が取得できることは言うまでもありませんし,実際に多くの計理士が「難関」とされた試験に合格して、公認会計士になりました。しかし,こうした新たな制度を構築する場合の既得権回復に対する要求は強いものです。当時の計理士団体の政治的な活動もあって,通常の公認会計士試験とは異なる「公認会計士特例試験」に関する法案が上程されます。
 この「公認会計士特例試験」は,計理士の職にあった年数を試験の成績である得点に反映させる仕組みであり,要するに「より容易に合格するために下駄を履かせる」法律です。
 もちろん、公認会計士試験のレベル低下を危惧した当時の公認会計士協会は,上記の法案に猛反発します。
 しかし合理性と政治力とは別問題ですし,国会における多数決が常に正しいわけではないでしょう。その法案は1964年7月に成立してしまいます。
 果たして、1964年~1966年にわたって5回の特例試験(この試験結果については次回、題材にします。)が行われることになりますが,その法案の成立の際,日本公認会計士協会では,会長をはじめ役員全員が辞意を表明するという異例の事態となります。
 下記は,その時の日本公認会計士協会会長のコメントです。

 「会員の期待に応え得ず,ここに敗北を喫しまして,今後の公認会計士制度の発展の上に大きな汚点を残したことを罪万死に値いするものとしたしまして,深く深く陳謝いたしまして,みなさんのお許しをお願いしたいと考える次第でございます。」


 もとより,監査のレベルは公認会計士一人一人の能力水準に依存するところが大であり,そのためには相応の難易度を保持した公認会計士試験の実施が望まれることは言うまでもありません。当時の公認会計士の先人達は,上記の会長のコメントに含まれる無念さに見られるように,政治的な圧力の中で虚しく無力感を感じていたに違いないでしょう。
 次回は上記の「公認会計士特例試験」の結果について扱います。Taku

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 当ブログは、中里会計事務所による不正事例研究会の記事を発信しています。
 不正事例研究会 中里会計事務所
実際の事件を知ることが、同様の事件を繰り返させないための想像力を養い、対策を有効に機能させるための第一段階になると信じます。
連絡先:中里会計事務所 電話03-6228-6555
中里会計事務所

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